カール・マルクスの主著『資本論』を学習する際の理解を助ける補助教材です。『資本論』は資本主義社会の構造とその矛盾を徹底的に分析した理論書であり、その内容は哲学、経済学、歴史学など多方面にわたるため、初学者にとって難解に感じられることも少なくありません。本書では、各章の要点整理、重要な概念の解説、そして現代社会との関連性を示すことで、読者が体系的に理解を深められるよう工夫しています。また、複雑な議論を図解や平易な言葉を用いて補足し、単なる知識の習得にとどまらず、自らの思考を発展させる契機となることを目指します。さらに、学習者同士の議論やゼミでの利用にも適しており、読書会や研究会の教材としても活用できます。本書を通じて、マルクスの理論的洞察がもつ歴史的意義と現代的課題を理解し、資本主義社会を批判的に捉える視座を獲得していただきたいと考えています。
資本主義は「無道徳」?
「まあ、禁止されてないし」という資本主義の「無道徳」の功罪 先進国の中間層が陥没した理由〈dot.〉2/27(月) 17:00配信70コメント70件AERA dot.ブランコ。
ミラノビッチさん 世界銀行の主任エコノミストも務め、日本などの先進国中間層の成長率の鈍化を見破り、的確に分析したブランコ・ミラノビッチ氏。
資本主義は「無道徳」では道徳とはなんだろう?疑問です。共産主義・社会主義はどうであろう資本主義と比較するだけでは、問題の解決とならないだろう。
下からが記事です。
ここでは先進国中間層がなぜ没落した理由、そうして、ここからの資本主義を分析するように欠かせない「無道徳性」とは何か? 最新刊『2035年の世界地図』で語った資本主義の未来予想図を、本書から一部を抜粋・再編して大公開します。
【図】ひと目でわかる。
先進国の中間層の陥没* * * 先進国の中間層はどうして没落していくのか?――グローバル資本主義の牙城ともいうべき米国の社会には深い断層が走り、社会構造を引き裂きつつあるのです。
米国社会の分断を引き起こした要因は、地理的なもの、教育的なもの、そして時には道徳的なものなどがあると思う。
それらはすべて、中流階級の収入の停滞ともっとも密接に関連してるように見える。
こいつを、あなたは「エレマニアトカーブ(象グラフ)」によりまして、見事に説明された。
欧米やたぶんに日本も含まれている先進国におきまして、民主主義と資本主義に比較する疑念が深まってることと、冷戦後のグローバル化との関係につきましてお話しいただけますか。
今日の不確実性について述べるためには、少し過去に戻らないそしたらいけない。
「エレファントカーブ」は、あなたが示唆してしまったように、豊かな国の中間層の不満や不平の事実に焦点を当てるものでしょう。
強調しなければなることはないのは、これが豊かな国の中流階級であることなのです。
なぜなのだろうか。
ある意味、先進国の中間層の所得が絶対値で実質的に減少したからではないです。
裕福な国の中でGDPと人口の点で、最も重要な3つの国は米国、日本、ドイツです。
そこには約5億人の人々がいます。
これの国の所得分布の下の方を見てみますと、2億5000万人です。
ある意味大変な数です。
こんな人たちはグローバル化の中で、所得を減らしてしまいましたとしてましたのだろうか。
いいえ。
実質的には、どの階層も所得が増加しました。
ただし、問題は二つの側面からみることができます。
1つ目は、先進国の中間層の実質所得の増加は、もっともわずかなものでしたということなのです。
基礎的には、過去30年間の平均で、1人あたり年間1%未満という程度です。
伸びは弱く、人々の期待を下回るものだった。
2つ目に、政治的な意味合いが大きかったのは、中国、インド、ベトナム、インドネシア、タイの中間層はまだ貧しいものの、先進国の中間層よりも高い所得の伸び率を享受した、ですのだった。
また、先進国でも「上位1%」の人々の所得は、非常に大きく増加してしまったのです。
その増加は劇的だった。
たとえると米国のデータを見てみますと、1983年から2008年の世界金融危機までは、所得階層で下から95%という大半の人たちは、実質所得の伸びがせいぜい年1%未満という非常に控えめなものでした。
しかしていながら、それ以上の富裕層になると急激に増えて、2%、3%、4%、さらには6%となりましたのです。
実質所得の伸びの結果と人々の期待は食い違い、経済的、地理的、道徳的、あるいは教育上の分断を生み出すこととなったわけです。
そういう意味合いで、ある意味民主主義にとりましての困難をいまに至るまでもたらし継続しているのです。
資本主義の特徴は「無道徳」なことである――あなたは、グローバル化とは2つの力によりまして推進されており、元に戻すのは非常に簡単ではない、と主張しています。
そのひとつが、道徳にとらわれない(amoral)自己利益の追求です。
あなたは、法律や規則の執行者だけに頼ることによる「道徳の外部委託」に深い問いがあることを指摘されておりました。
道徳にとらわれないグローバル化と道徳の外部委託の世界では、誰もがそのシステムにつけ込んで利益を得ようとします。
私たちが直面してるこの難問をどういうに克服し、道徳的目的も取り入れた代替的な資本主義の形態を見いだすべきではと思うか。
ある意味とっても難しい質問です。
私は、明快な答えを本当に持ってわない。
私は、『資本主義だけ残った』で書きましましたように、資本主義の特徴の1つは――そこは今ひどくなっていますのですが――「無道徳性」だと思っています。
ここでいう無道徳性とは、不道徳(immoral)とは違う概念です。
不道徳とは、実際に何か間違ったことをすることなのです。
無道徳性とは、倫理や道徳に比較するどちらでもないな態度を意味します。
そうして、その中立的な態度は、法的な文脈の中に包摂されているのです。
言い換えるそしたら、グローバル化と資本主義の進展に伴い、より頻繁に起きているのは、ある種の行動につきまして、我々はぼくの内なる規範に基づいた統制ができていない、ですのです。
私たちは規範を基礎的に外部委託して、こう言ってしまうのです。
「まあ、ある意味禁止されていないし」もしくは「法的に間違いましてるとされませんから」と。
しかし知ってみたいに、私生活や家族、友人その他の人々との関係におきましては、私たちは、法規だけに従いまして行動したりするわけではないです。
私たちは、社会や自らの内なる道徳的感覚がそう求めていると信じていることに基づいて行動していますのです。
この問題は、より広範な商業活動を進めようとする際に問題になるのでしょう。
自己利益を追求するようにそのつど行動する「作業的コミュニティー」とでもいうべき市場社会は、有機的なコミュニティーの一部ではありません。
さて問題は「どういうにこの2つを組み合わせることが出来るか」ということです。
私は、やや懐疑的だと言わざるを得ない。
「道徳の外部委託」が生み出す富と、道徳を重視する共同体への回帰とが、抜本的にはトレーディングオフ(一方をとると他方を失う)の関係にあげられます。
この根本的なトレードオフは、「道徳を外部委託する条件下でよりすべての収入と富を得るか」、あるいは「時代をさかのぼるように、道徳的価値がもっとも重要となる、より有機的なコミュニティーへと向かうか」ということです。
有機的なコミュニティーでは、労働や資本のグローバル化による国際分業という利点は失われてしまうのです。
ブランコ・ミラノビッチ経済学者。
1953年生まれ。
「エレマニアトカーブ」のモチーフによりまして先進国中間層の所得の伸び悩みを指摘し、所得分配と不平等に関係する研究で世界的に知られてる。
世界銀行調査部の主任エコノミストを20年間務めた経験もあるだろう。
主な著書に、『不平等について』『大不平等』『資本主義だけ残った』(みすず書房)など。
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